Tele『DNA』歌詞の意味を考察!2ndアルバムからの先行配信シングル

Teleの楽曲『DNA』は、2025年4月2日に先行配信された、谷口喜多朗のソロプロジェクトによる新曲です。
この楽曲は、4月23日にリリースされるアルバム『残像の愛し方、或いはそれによって産み落ちた自身の歪さを、受け入れる為に僕たちが過ごす寄る辺の無い幾つかの日々について。』に収録されていて、アルバムの中から先行配信されました。
今回はそんなTeleの楽曲『DNA』の歌詞の意味を考察していきます。
この記事の目次
Tele『DNA』歌詞の意味を考察

ここからはTeleの楽曲『DNA』の歌詞の意味を考察していきたいと思います。
刹那的で永遠を願っているようなラブソング
「終末を僕たちはスキップしてさ。」
ここでの「終末」は、単に“世界の終わり”ではなく、関係の終わり・人生の終わり・現実の終わり……そういった象徴的な「終わり」を指しているようにも思えます。
「スキップしてさ」という軽やかな言葉は、終わりを無視する=運命に逆らって、ふたりで今を楽しむ姿勢。
つまり、未来の絶望や破綻なんて知ってても、それでも"今"を生きてる、という静かな反抗とも取れます。
「差分違いの今日を生きた、枯れ果てちまったトーキョー。」
「差分違いの今日」は、同じように見えるけど、微妙に違っている日常。
それを繰り返していく生活。
でも舞台は「枯れ果てちまったトーキョー」――夢も理想も燃え尽きた都市。
そんな場所で、僕らは微妙に違う“今日”を生きてる。
それは希望がない場所でも、まだ何かを生きようとしてるということなのかもしれません。
「順番を待っていた自由の切符は、矛盾以外残んなかった。」
自由になりたくて、“切符”を待っていた。
でも、順番が回ってきたときにあったのは「矛盾」だけ。
自由とは、本当はあるようでいて存在しないのかもしれない。
社会・制度・自分たちの関係――自由を求めることすら矛盾してしまう現実を痛烈に表現しているようです。
「ふたりぽっち踊っていた。」
でも、そんな矛盾に満ちた世界の中で、
ふたりだけの時間、ふたりだけのリズムで踊ることはできた。
孤独な世界の中で、ふたりだけが通じ合える特別な空間がそこにあったということなのかもしれません。
「ねえ、涙、何故か噛みつき合う僕ら、いっそ歯形で憶えあって。」
「涙」=感情が溢れるとき。
「噛みつき合う」=ぶつかり合う、傷つけ合う。
「歯形で憶えあって」=痛みや傷そのもので、互いを記憶に刻む。
言葉ではなくて、傷みでしか繋がれない不器用な関係を描いている。
でもそれでも、お互いを忘れたくなくて、“歯形”という形で記憶し合っているのかもしれません。
「誰が見ても先のない屋上で、愛を語っていた。」
「誰が見ても先のない」=終わりが見えてる、希望がない場所。
でもそんな場所で「愛を語っていた」と、絶望の中でもまだ愛を信じようとするふたりの姿が想像できます。
「DNA運んでゆけ、僕ら頭の先まで無我夢中。」
「DNAを運ぶ」=自分たちの存在、生きた証、感情や記憶すらも次の世代や未来に運んでいくということ。
「頭の先まで無我夢中」=理屈じゃなくて、本能で生きてる。
これはただの恋愛ではなく、生の叫び・存在の連鎖を歌ってるようにも感じます。
「DNA運んでゆけ、どこからどこへゆこうがシステム。」
ここで「システム」という言葉が出てくるのが、Teleらしいですね。
「どこに向かおうと、それすらも組み込まれてる」
つまり、僕たちの選択・偶然・愛・別れ――全部が、この世界の一部(=システム)なんだと。
逃れられないものの中で、それでも何かを運んでいこうとしている様が浮かんできます。
「そうさ、今、忘れちゃう前に 全部、思い出しといたよ。」
「忘れちゃう前に」=記憶は儚い。
だからこそ、「全部、思い出しといた」というのは、君とのことを確かに心に刻み込んだという強い意志が感じられます。
「最後に僕に縫い付ける。」
「縫い付ける」という言葉には、傷口を閉じる行為、離れていたものをつなぐ行為、あるいは、何かを消えないように“刻みつける”ような行為というニュアンスが含まれます。
ここでの「最後に」というのも重いですね。
関係の終わり、命の終わり、記憶の終わり――何かの“ラストシーン”において、僕に“それ”が縫い付けられると表現しています。
「僕に縫い付けたそれは、遺伝子を全部塗り替える。」
『DNA』というタイトルがここで繋がります。
「遺伝子を塗り替える」とはものすごい表現ですよね。
DNA=変えられないもの。自分の根源的な部分。
でもその“縫い付けられた何か”は、僕の存在の根本を塗り替える力を持っていた。
つまり、「君」との出会いや感情が、それほどまでに自分という人間そのものを変えてしまった、ということなんだと思います。
「記憶も、記録も、書き換えてしまうような鼓動。」
もうこれは、命そのものの再構築をしているような表現です。
「記憶」=心の中にある思い出や感情
「記録」=外に残された自分の軌跡(=過去、歴史、人生)
それすらもすべて「書き換えてしまうような鼓動」=
君の存在が、僕の生きてきた意味をまるごと再定義してしまった。
これは、単なる恋じゃない。
「生まれ変わる」ような体験、もしくは「この出会いのために生きてきたんだ」と思えるような感情を表現しています。
鼓動となりDNAとなって生き続ける。
「なんで僕ら生まれ落ちて、」
生まれるという行為に、自分たちの意思はなく、落ちてと表現しているのがポイントで、「生まれた」というより、運命や重力によって落とされたような、不可抗力を感じさせます。
なぜこの世界に存在するのか、という根源的な疑問。
「ねえ、なんで僕らつがいあって、」
言葉があっても、すれ違う。
言葉にしようとすると、本当の想いがうまく伝わらない。
それなら、最初から言葉なんていらなかったと嘆いているようです。
2回繰り返すことで、悔しさと諦め、そして本音の重みが強く出てます。
「なんで僕ら息を吐いて、」
息を吐く=「生きている」
でも、「なぜ生きているのか?」という根本に戻ってくる。
呼吸ですら問いになるくらい、心が揺れている状態なのかなと思います。
「ねえ、なんで僕ら愛し合って、」
傷ついて、伝わらなくて、言葉もすれ違って、それでも愛してしまう。
それが“なんで?”っていう切実な叫び。
愛とはなんなのか? なぜ惹かれ合うのか?
その答えのなさに、苦しんでるようでもあり、美しさを見出しているようでもあります。
「ねえ、なんで声を重ね合ってしまう。ねえ、しまうんだろう。」
声を「重ね合う」=歌う、会話する、感情を響かせ合うことで、ただのコミュニケーションではなくて、心と心の振動を共有すること。
「しまう」という言葉には、
無意識に、抗えずに「してしまう」というニュアンスが含まれていて、理屈じゃなく感情に突き動かされている感じがすごく伝わりますね。
「最後に僕に縫い付ける。」
「 僕に縫い付けたそれは、」
「 遺伝子を全部、全部塗り替える。」
「 僕に縫い付ける。」
「 僕に縫い付けた振動は、」
「 あなたが紡いだ、溢した、唄ったささやかな孤独。」
「振動」=音、声、鼓動、言葉、感情、気配……あらゆる“あなた”の痕跡。
「紡いだ、溢した、唄った」=ただの言葉じゃない、“生きてるあなたそのもの”から零れてきたもの。
「ささやかな孤独」=つまりそれは、あなたがひとりで抱えてきた、誰にも完全に分かち合えなかった想い。
それが僕に“縫い付けられた”ということは、あなたの孤独を、僕が引き継いだ、分けてもらった、共有したということ。
そしてその孤独は、ただの寂しさではなく、
“あなただけの色を持つ、震えるように美しいもの”だったと――。
切なくも感動する歌詞になっています。
まとめ

今回はTeleの楽曲『DNA』の歌詞の意味を考察してきました。
なぜ生まれ、出会い、惹かれ合い、傷つき、言葉すらも手放したくなるのか
それでも、どうして生きて、愛して、声を重ねてしまうのかという、生と愛に対する本質的な問いを繰り返している歌詞に感じました。
そしてその問いは、「答えを求めるため」じゃなくて、
“共鳴する”ために発されているように思います。
「わかってほしい」というより、
「わからないままでも、あなたとこの疑問を分かち合いたい」――そんな、切実で美しい祈りを感じます。
すごく哲学的でありながら、まるで自分自身が言えなかった心の声を代弁してくれてるような歌詞になっていて、ほんと沁みる楽曲です。
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