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King Gnu『AIZO』歌詞の意味を考察!アニメ「呪術廻戦 死滅回遊前編オープニングテーマ

King Gnuの楽曲『AIZO』は、2026年1月9日に配信リリースされました。

この楽曲は、アニメ「呪術廻戦 死滅回遊前編」のオープニングテーマとなっています。

King Gnuらしい疾走感漂う楽曲で、その中に少し怪しげな、呪術廻戦の世界観も取り入れたような雰囲気がかっこいい1曲になっています。

今回はそんなKing Gnuの楽曲『AIZO』の、歌詞の意味を考察していきます。

King Gnu『AIZO』歌詞の意味を考察

ここからは、King Gnuの楽曲『AIZO』の歌詞の意味を考察していきます。

人間肯定の歪んだ優しさ

LUV ME LUV ME HATE ME HATE ME LUV ME LUV ME KILL ME KILL ME

タイトルの『AIZO』は、「愛憎」から取っているようです。

「愛(LUV)」「憎(HATE)」という意味なので、冒頭の部分はタイトルの意味を早速回収している事になります。

愛されたい

憎まれてもいい

いっそ壊されたい・消されたい

そういった極端な承認欲求と自己破壊が最初に英語で歌われています。

SNSや都会の生活の中で、好意も悪意も一瞬で浴びせられる現代の状況

「評価されるなら愛でも憎しみでも構わない」という歪んだ切実さが感じられます。

愛憎愛憎渦巻いて 大東京狂騒歌って 廻れ廻れ時代の 生き恥にずぶ濡れで

愛と憎しみが混ざり合って、区別できない状態になっています。

誰かを好きになるほど憎くなり、憎むほど執着してしまう、感情が制御不能なほど循環している心理を表しています。

「大東京」は現代社会の象徴で、人と情報と感情が過密にぶつかり合う場所で、愛憎もまた“狂騒”として鳴り響いています。

狂騒とは、特定の出来事に対して人々が大騒ぎしている様子のことです。

流行・価値観・炎上・評価が目まぐるしく入れ替わる中で、止まりたくても止まれない様子を示しています。

失敗、弱さ、醜さをさらしながらも生き続け、プライドが剥がれ落ち、格好悪さに浸されながらも、都市と時代の中で生き延びるしかない現実が滲みでています。

愛憎愛憎を喰らって 参ろう大層な様で 離れ離れで終いよ 然らば又逢いましょう

愛も憎しみも避けずに飲み込み、傷つくと分かっていても感情を摂り続け、感情を燃料に生きている状況がみられます。

「大層な様で」は皮肉っぽく表現されていますが、大義や理想を掲げているように見えて、実際は必死に足掻いているだけの貧民といった感じ。

それでも「参ろう」と進むのは、虚勢でも前に行くしかない生存姿勢を示しています。

最終的に人は分かり合えず、孤独へ戻っていき、愛憎を交わした関係も、都市の喧騒の中で解体されていく虚しさが漂っていますね。

それでも別れを「終わり」にはせず、同じ時代、同じ狂騒の中で、また愛し、憎み、傷つくことを前提にした再会の挨拶は、絶望と諦観の中にある、皮肉な希望です。

人間の矛盾と執念

ドラマチックに溺れて 未完成な私を認めて 気休めのフィクション 嘘と真の不協和音

ここでの「ドラマチック」は、現実そのものというより自分を保つために誇張された感情・物語のことです。

未熟で欠けた自分を、そのままでは受け止めきれないからこそ、大袈裟な感情や物語に身を沈めて「それでも生きている自分」を肯定しようとしています。

自分が縋っている物語は、本当は“気休め”にすぎないと分かっていますが、真実と嘘が混ざり合い、どちらも否定できない

信じたいものと現実が噛み合わない不快感が「不協和音」として表現されています。

出来損な愛でも許して 構わない 此の舞台生き抜いて 咬ませ狗の武者震い(ハイテンション) ヤラレっぱなしじゃ 大人しくはなれない

不完全で歪んだ愛しか持てない自分ですが、それでも「舞台」=この社会・人生の上で生き残ることを選び、愛の純度よりも、生存が優先される覚悟が見えます。

「咬ませ狗」は負け役、消耗される存在ですが、それでも武者震いし、恐怖と興奮が混ざった状態になっています。

みつけられたままでは終われないという反抗心と自尊心が見えます。

LUV ME LUV ME 正しさばかりで HATE ME HATE ME 全部奪って LUV ME LUV ME 愛憎塗れで KILL ME KILL ME 此処を連れ出して

「正しさ」は時に暴力になり、正論・倫理・常識が、個人の感情や居場所を奪います。

だからか、正しくなくても愛してほしい、いっそ憎まれてもいいといった極端な欲望が噴き出しています。

愛も憎しみもまみれたこの場所=現実・都市・社会から「連れ出してほしい」と願っていますが、それは救済というより、破壊と解放が混ざった衝動的な叫びに聞こえます。

愛憎愛憎抱き合って 最高潮よ何時だって 騙し騙しで良いの 代償なんて気にしないよ

愛と憎しみがぶつかり合う瞬間が感情のピークで、穏やかな安定より、激しい感情の振幅こそが生の実感になっている状態のようです。

自己欺瞞でも、綺麗事でもいいので、その代わりに生きていられるなら、傷や失敗の代償は構わないという刹那的で危うい肯定です。

愛憎愛憎に足宛いて(もがいて) 外交愛想振り撒いて 万物問答無用で終いよ 然らば又逢いましょう

愛憎に溺れながらも、社会では“愛想”を振り撒いて生きる。

本音と建前、内面と外面の乖離。

ここに都市的な孤独と演技が凝縮されています。

最終的に、すべては説明も救済もなく終わり、意味も理由も回収されない。

それでも「又逢いましょう」と言うのは、この愛憎の循環から逃げないという宣言であり、絶望を前提にした再会の約束になっています。

抜け出せない循環

夢見心地で嘘みたいだろう? 今の東京では正気じゃ居られない 甘い言葉で疼かせて 今が最高とそう思わせて 情けは無用ね 世情無常で一生平行線ね

東京の眩しさ・スピード・刺激は、現実感を麻痺させ、成功も恋も幸福も、どこか「夢」や「嘘」のように演出され、冷静でいる方がむしろ異常な都市として描かれています。

ここでの東京は、理性よりも欲望と感情が優先される場所となっているようです。

刹那的な快楽や承認、「今が一番」「ここが居場所」と錯覚させる誘惑。

それは恋愛・成功・SNS・消費文化すべてに通じるもので、人を依存させるための甘さにもなっています。

情や優しさは通用せず、社会と個人、理想と現実は交わらない。

分かり合おうとしても線は並んだままで、ここに都市の冷酷さと諦観がはっきり表れていますね。

愛憎塗れで 此処を連れ出して

前にも出てきたフレーズですが、再び現れるこのフレーズは東京=愛と憎しみが染みついた場所からの脱出願望になっています。

ただし“どこへ”ではなく、「ここではないどこか」への衝動的な逃避に近いように聴こえます。

LUV ME LUV ME 正しさばかりで HATE ME HATE ME 今日も無情いね(つれないね) LUV ME LUV ME 愛憎塗れで KILL ME KILL ME 心剥き出しで

正しさやルールが支配する社会は、感情に対して冷淡です。

愛されたいのに、返ってくる無関心や否定は、承認欲求と拒絶の反復が、日常になっています。

「KILL ME」は、取り繕った自分・仮面・演技を壊してほしいという叫び。

傷ついてもいいから、本音のまま存在したいという欲望になっています。

愛憎愛憎渦巻いて 大東京狂騒歌って 廻れ廻れ時代の 生き恥にずぶ濡れで 愛憎愛憎を喰らって 参ろう大層な様で 離れ離れで終いよ 然らば又逢いましょう 愛憎愛憎抱き合って 最高潮よ何時だって 騙し騙しでいいの 代償なんて気にしないよ 愛憎愛憎に足宛いて(もがいて) 外交愛想振り撒いて 万物問答無用で終いよ 然らば又逢いましょう LUV ME LUV ME 正しさばかりで HATE ME HATE ME 全部奪って LUV ME LUV ME 愛憎塗れで KILL ME KILL ME 此処を連れ出して 愛憎愛憎に足宛いて(もがいて) 外交愛想振り撒いて 万物問答無用で終いよ 然らば又逢いましょう LUV ME LUV ME 正しさばかりで HATE ME HATE ME 全部奪って LUV ME LUV ME 愛憎塗れで KILL ME KILL ME 此処を連れ出して

ここから最後にかけては、前半までに出てきた歌詞が再び登場し、駆け抜ける様に歌い上げていきます。

同じフレーズが何度も出てくることで、抜け出したい、でも抜け出せない、愛されたい、でも壊れたいという矛盾が解決されないまま循環していることが示されます。

「愛憎のループ」といえる、そんな歌詞ですね。

まとめ

今回は、King Gnuの楽曲『AIZO』の歌詞の意味を考察してきました。

『AIZO』の歌詞は、解釈が難解でしたが、東京と時代の中で、正しさに削られながらも、愛と憎しみによってかろうじて“生きている実感”を保つ人間の歌といえるのではないでしょうか。

救済も出口も用意されていないですが、それでも感情を剥き出しにして「又逢いましょう」と言い続ける。

そこにこの曲の、人間的な核心があるように感じます。

歌詞考察,音楽

Posted by p-s