ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)『クリームで会いにいけますか』歌詞の意味を考察!

ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)の楽曲『クリームで会いにいけますか』が、2025年5月22日にリリースされました。

『クリームで会いにいけますか』は、2025年4月5日よりNHK総合で放送されている子ども向けニュース番組『週刊情報チャージ!チルシル』のテーマソングとして書き下ろされた楽曲です。
また、みんなのうたの中でも楽曲は流れています。
ずとまよらしい独特のリズムとメロディが特徴で、聴くとクセになる楽曲です。
今回は、ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)の楽曲『クリームで会いにいけますか』の歌詞の意味を考察していきます。

この記事の目次
ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)『クリームで会いにいけますか』歌詞の意味を考察

ここでは、ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)の楽曲『クリームで会いにいけますか』の歌詞の意味を考察していきます。
感覚のズレや柔らかさの中にある美しさ
クリームで会いにいけますか
C.R.E.A.M I’m Creamy
冒頭部分のこの歌詞は、最初は正直よく意味が分からないと思います。
聴き進めていくにつれてあとで振り返ると、意味が分かるということもあるかもしれません。
ただ、ボーカルのACAねさんは、「0か100ではない別の表現、言葉がもっとクリーミーだと生活しやすく人に会いやすい気がしていいなと思い、白黒、グレーでもなく“クリームで会いにいけますか”」とコメントしているので、このコメントを聴くと、「クリーム」はここでは柔らかさ・曖昧さ・中間性・想像の余地の象徴と考えられます。
「クリームで会いにいく」は、「はっきり断定せず、柔らかな心で人に向き合う」という姿勢ということなのかなと思います。
カスタードクリーム ハンドクリーム
何色浮かぶ?
言葉のイメージが 挨拶する?
初めましての色が あることを
先に面白がるんだい
食べ物や日用品の“クリーム”を挙げて、それぞれが持つ色・質感・印象の違いに着目しています。
これは、同じ「クリーム」という言葉でも人によってイメージが違う=言葉や感情の解釈は多様であるということを示しています。
そして言葉がただの記号ではなく、感覚として人に働きかけるものだと捉えています。
それぞれの言葉にはイメージ(色、質感)があり、それが「初めまして」と語りかけてくるという、詩的な感受性を表現しています。
「初対面」や「未知のもの」を警戒するのではなく、その新しさ・意外性をまず楽しもうとする姿勢が「面白がる」といった歌詞に込められていて、「色」はその人や言葉の“個性”や“印象”を指し、新しい人や考え方に出会うこと自体をポジティブに捉えるべきだというメッセージとして受け取ることができます。
ハテナ以前の否定って なんか不自然
ナンセンスな お返事が 衝撃でも
大丈夫 廃棄しない生スクリーム
何を浮かべていたのだ?
「わからない」とすら思う前に否定するのは不自然だ、と歌っています。
理解できないものや違うものに対して、すぐに拒絶するのではなく、まずは“?”と疑問を持とうということを表現していますね。
意味不明な返答(ナンセンス)に驚いても、それを切り捨てない、という寛容さ。
「生スクリーム」は“生クリーム”と“叫び(scream)”のダブルミーニングで、本音や未加工の感情を指しているようです。
感情を「廃棄」せず、大切に受け止めることの大事さを訴えています。
そして自分の先入観やイメージに問いかける形で、自分の思い込みを見つめ直すよう促しています。
どちらでもない解釈 曖昧ってわけじゃない
知りたい質感 聞きたい心地
躊躇ってる場合じゃない?
「曖昧=あやふや」ではなく、「どちらでもない」という中間の選択肢を意識的に取っていて、意志のあるグレーを肯定している歌詞です。
二択の世界に縛られない価値観を表現しています。
自分とは違う感性や意見を、「触れてみたい・感じてみたい」という好奇心。
躊躇せず、その世界に踏み込んでみようとする勇気を後押ししています。

自由で何者でもない自分と曖昧を受け入れる優しさ
想像に まるばつ なんてない 僕らは
冷静に 白黒でもない
クリームで会いにいけますか
何者でもない クリーミーさ
創造に まるばつ なんてない
クリームで会いにいけますか
今なら会いにいけますか
「想像」は、人が自由に思い描くことのできる領域。
そこに「◯(正解)」「×(間違い)」を付けること自体がナンセンスだというメッセージです。
「僕らは」は、その正誤の枠組みから自由になれる存在であるという自己肯定を感じられます。
「冷静に」とあることで、これはただの感情論ではなく、理性を持った上でグレーゾーンの価値を認めているということ。
「白でも黒でもない=善悪や正誤に分けられない」世界の広さに気づいていることの表れなのではないかと思います。
「クリームで会いにいけますか」を繰り返し歌うことで、クリームという柔らかく境界の曖昧な質感=共感・受容・優しさ”を象徴しているのがわかります。
「何者でもない」=ラベルがついていない、肩書や役割から解放された存在で、その“ありのまま”にある柔らかさを「クリーミーさ」と表現しています。
社会的な「正しさ」や「立場」を超えて、人間の本質的な部分で会おうとする姿勢が伝わります。
「想像」と「創造」をあえて分けて使用することで、「考えること」だけでなく「形にすること(表現)」にも、正解・不正解を持ち込むべきではないというメッセージに深化しています。
アートや自己表現、アイデアの自由さを強く肯定している歌詞だと思います。
最後の「今なら〜」という語りかけは、聴き手にも問いを投げかけているように響きますね。
「だから、あなたも怖がらずにクリームで来てね」といった優しい願いも含まれていると感じられます。
現代における人との接し方の理想像
逃れることも 時には賢く
自分を救うように 君を救いたい
なんて 勝手な僕の生スクリーム
漠然と天井みつめんだ
問題から目を背けるのではなく、時に逃げることも自分を守るためには必要な選択であるという肯定的な視点で、「逃げ=悪」とはせず、柔軟な心のあり方を表しています。
自分が傷ついてきたからこそ、同じように傷ついている相手を助けたいという思いがあり、勝手に自分のことよりも他人のために行動したいと歌っています。
「生スクリーム」は「生の叫び」であり、本音。
「君を救いたい」と思う気持ちも、実は自分の願望でありエゴなのかもしれないと、自分自身の気持ちを見つめています。
この自己認識があることで、表面的な優しさではなく、深い人間性や誠実さが感じられます。
天井は閉ざされた空間の象徴でもあり、「現実からの逃避」や「考えすぎて動けない心情」を表していると考えられます。
淡い断言に 惑わされたりするけど
知りたい質感 聞きたい狼煙
躊躇ってる場合じゃない
世の中には一見優しそうな「断定」や「正しさ」がありますが、それが淡い=曖昧な正しさに見えることに気づき、「正解らしきもの」すらも不確かであるということに対する目覚めを感じる歌詞です。
「質感」は他者の本当の感情や温度、「狼煙(のろし)」はサイン、SOS、意思表示で、他人のことを表面的にではなく、本質的に感じ取りたい、知りたいという真摯な想いを歌っています。
自分の迷いを振り切るようにして、感じにいくこと、踏み込むことの大切さを自らに言い聞かせている歌詞です。
想像に まるばつ なんてない 僕らは
冷静に 白黒でもない
クリームで会いにいけますか
何者でもない クリーミー鎖
創造に まるばつ なんてない
クリームで会いにいけますか
今なら会いにいけますか
先ほども登場したサビですが、ここではより重みと切実さを持って響いてきます。
「何者でもない クリーミー鎖」という部分だけ、漢字だけが違います。
柔らかい心のつながりで人と結ばれたいという想いが感じられます。

曖昧さ・中間・多様性の肯定
全てを 良く思えなくていい
自ら不可思議 見つけたっていいんだ
グレーな選択も あるけれど
クリームな真ん中が
今はしっくり来てる
考えを保湿してみる
「全肯定しなくてもいい」という、自他への寛容さ、人や物事を、無理に「いいもの」として受け入れなくてよい、というのは自己肯定だけでなく、他者への距離感にも通じます。
白黒つけないスタンスが表れています。
自分自身の中に、理解できない部分や不思議な感情があってもよくて、自己の複雑さを否定しない姿勢。
「理解できる自分=正常」ではなく、不可思議を受け入れる自分こそ自然という価値観の転換が歌われています。
「グレー」は白黒の中間色で、でも「クリーム」は、白でも黒でもなく、質感のある中間。
単にどっちつかずではなく、「自分に合った、柔らかく温かな選択肢」を選ぶ感覚が表現されています。
「乾いた思考=極端・硬直化・冷静すぎる頭」ではなく、しっとりと柔軟な思考を保つことを意識して、心を潤すように、思考にも“潤い=感受性・共感”を持たせようという呼びかけとなっています。
信用の要点を分析
オリジン足りない真ん中のホール
気づけば受け身になってんじゃん
怖がるくせに批判してる
0or100の思考停止が危険
断言は派手だけど浅薄
エゴでもない気持ちの掟
クリームな解釈もいいじゃん
「信用」とは何かを見つめる視線、「オリジン足りない」=本質や根っこが見えていない状態で、それを「真ん中のホール(穴)」と呼ぶことで、人と人の間に空洞があることを認識しているのかなと思います。
「気づけば受け身になってんじゃん」と自分が何もしていないのに、人や状況を批判していることに気づき、自己と向き合う痛みを受け入れている表現のように感じます。
極端な思考(ゼロヒャク)や断定(断言)の危うさを表現し、多様性を受け入れるには、曖昧さ・揺らぎを含む中間思考の重要性を歌っています。
「気持ちの掟」は、自分の中にある真っ当な感情や信念で、れはエゴ(自己中心)ではない。
だからこそ、自分なりの解釈=クリームな=柔らかくて主観的な視点も大事にしていいと歌っています。
自分の中に“揺るがないもの”がありつつ、それが他人と違っても構わないという自己受容の表現です。
想像に まるばつ なんてない 僕らは
錬成に 白黒でもない
クリームで会いにいけますか
何者でもない クリーミーさ
混ざり合って気づけた チューブ
クリームでも会いにいけますか?
今なら会いにいけますか?
最後のサビになりますが、少しずつ今までのサビと違う歌詞となっています。
「錬成」は“鍛えられている”という意味合い。
日々成長・進化していく中で、白黒で切り分けられない柔軟さが必要だと歌っています。
「何者でもない」自分でいてもいいし、それこそが純粋なクリーミーさという表現です。
「チューブ」は、いろんな要素が混ざっている容器で、いろんな感情や立場が混ざり合った結果として、新しい発見・理解が得られるという気づきを表現しています。
誰かとの関係や、複雑な世界との関わり方においても、混ざること=学び・進化というポジティブな視点です。

まとめ

今回は、ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)の楽曲『クリームで会いにいけますか』の歌詞の意味を考察してきました。
「クリームで会いにいけますか」は、曖昧さを恐れず、むしろそこにこそ人間らしさ・関係性・想像力の本質があると描く、ずとまよらしい詩的で哲学的なメッセージソングとなっています。
歌詞の解釈は難しい楽曲ですが、子供達にも伝えていきたい楽曲ですね。








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