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ポルノグラフィティ『サウダージ』歌詞の意味を考察!2025年に再注目の楽曲

ポルノグラフィティの楽曲『サウダージ』は、2000年7月12日にリリースされた楽曲です。

「サウダージ(Saudade)」はポルトガル語で、「郷愁」「切なさ」「取り戻せない過去への思慕」などを意味し、日本語には完全に対応する言葉がない、非常に情緒的な言葉ですが、その独特の世界観と印象的なメロディで当時大ヒットしました。

2025年に入り、ポルノグラフィティの『アゲハ蝶』という楽曲がドラマの主題歌に採用されて注目されたのを受けて、『サウダージ』も再び注目を浴びているようです。

そこで今回は、ポルノグラフィティの楽曲『サウダージ』の歌詞の意味を考察していきます。

ポルノグラフィティ『サウダージ』歌詞の意味を考察

ここからは、ポルノグラフィティの楽曲『サウダージ』の歌詞の意味を考察していきます。

自分を取り戻すための別れ

私は私と はぐれる訳にはいかないから いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

「はぐれる」という言葉は、本来一緒にいたものが離れてしまうことを指します。

つまり「私は私と」という表現は、自分自身の心を見失うことを意味しています。

恋に溺れたり、過去の思い出に縛られたりすると、人は「自分らしさ」を見失ってしまう。

おそらく主人公はそれを恐れています。

だからこそ「私は私でいなければならない」と、自分に言い聞かせていて、これは「あなたを想い続けると、自分を見失ってしまうから、ここで立ち止まる」という理性的な別れの言葉なのだと思います。

「もう会わない」とは言わず、「いつかまた」というあいまいな約束を残すことで、まだどこかに「あなたへの想い」を持ち続けている、ただその「いつか」はきっと来ないことを本人も分かっているようにも感じます。

「恋心よ」と呼びかけることで、感情を“自分の一部”として認めていますが、「サヨナラ」と言うことで、それを一時的に心の奥に封じ込める、つまり、「あなたを嫌いになるわけではない、でも、このままでは前に進めないから、恋する自分とは一度距離を置く」といった、成熟した別れの表現となっています。

自分らしく生きていこうとする

嘘をつくぐらいなら 何も話してくれなくていい あなたは去っていくの それだけはわかっているから 見つめあった私は 可愛い女じゃなかったね せめて最後は笑顔で飾らせて

「もう気持ちが離れているなら、嘘でつなぎ止めないで」と、恋が終わりに近づいていることを主人公はすでに感じ取っていて、「無理に優しい言葉でごまかさないでほしい」と願っています。

恋人の心が自分から離れていくのを、主人公は直感的に感じていて、「わかっているから」という言葉には、「止めたいけど、もうどうにもならない」という、諦めの中の優しさが滲んでいます。

「もっと素直だったら」「もっと笑っていれば」といった後悔が、恋の終わりに、自分を責める気持ちになっています。

ただ「泣いてすがるよりも、あなたの前では最後まで綺麗でいたい」と感情を抑えて、愛を美しく終わらせようとしている様子も伺えますね。

涙が悲しみを溶かして 溢れるものだとしたら その滴も もう一度飲みほしてしまいたい 凛とした痛み胸に 留まり続ける限り あなたを忘れずにいられるでしょう

普通は「涙=悲しみを流すもの」ですが、主人公は「その涙すら自分の中に取り込みたい」「悲しみをなかったことにせず、ちゃんと自分の一部として抱きしめたい」という、成熟した愛の覚悟を示しています。

「痛み=愛の証」として受け止め「苦しみさえも、あなたを想う印」として大切にしているようです。

「悲しみを抱えたままでも、私は前を向ける」という、静かな強さと気高さが表れています。

許してね恋心よ 甘い夢は波にさらわれたの いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

「許してね」は、「終わらせることへの罪悪感

夢のように甘かった恋は、波(=時間・現実)によって消えてしまったと現実を受け入れています。

「いつかまた誰かを愛せる日が来たら」「この想いが穏やかに思い出になる日が来たら」また恋をする、そういった未来への希望を含まれたサビになっています。

悲しみから強さへ

時を重ねるごとに ひとつずつあなたを知っていって さらに時を重ねて ひとつずつわからなくなって 愛が消えていくのを 夕日に例えてみたりして そこに確かに残るサウダージ

恋が始まったばかりの頃、時間を重ねることで、相手のことを少しずつ理解していく愛の成長段階が描かれています。

しかし、時間が経つにつれて、理解していたはずの相手が分からなくなっていく。

「知る → わからなくなる」という流れは、愛の始まりと終わりの対比を象徴しています。

夕日は、「終わりの美しさ」と「消えていく光」の象徴で、恋が終わっていくことを、悲しいけれど受け入れようとしている姿勢が見えます。

例えてみたりして”という柔らかい言い方が、「本当はつらいけれど、言葉で包み込もうとしている」
という自己防衛のような優しさを表しています。

“サウダージ”とは、過去の愛への郷愁、消えない想いを意味します。

愛は終わっても、「想い出」という形で確かに残っている。

「恋は終わっても、愛した時間だけは確かに存在した」という、静かな肯定がこめられています。

想いを紡いだ言葉まで 影を背負わすのならば 海の底で物言わぬ貝になりたい 誰にも邪魔をされずに 海に帰れたらいいのに あなたをひっそりと思い出させて

かつての愛の証であった“言葉”さえも、今となっては“影(=悲しみや後悔)”を背負ってしまうことを意味し、「あの頃の優しい言葉たちが、今は胸を刺すものになってしまった」時間が経つことで、愛の記憶が痛みに変わってしまう切なさが描かれています。

“海”は時々『記憶』や『無意識』の象徴として用いられますが、“貝”はその中で静かに閉ざされた存在です。

「もう何も語らず、静かに過去を胸の奥に閉じこめたい」という、心の休息への願いのように聞こえます。

「誰にも邪魔されずに」=「誰にも理解されなくてもいい」。

「ただ静かに、あの人のことを思い出す時間がほしい」という、純粋で穏やかな愛のかたちがここにあります。

諦めて恋心よ 青い期待は私を切り裂くだけ あの人に伝えて…寂しい…大丈夫…寂しい

“青い期待”とは、恋の始まりの頃に抱いた純粋で無垢な希望。

それが今では、現実とぶつかって自分を傷つける存在になってしまった。

「この想いを続けるほど、私は壊れてしまう」という痛みを自覚し、自分を守るために手放そうとしています。

「寂しい」と素直な本音を漏らしながら、「大丈夫」と自分を保とうとする。

その反復が、本当の心の揺れと空虚さを表しています。

繰り返される よくある話 出逢いと別れ 泣くも笑うも好きも嫌いも

「出逢いと別れ、泣くも笑うも好きも嫌いも」

恋の始まりから終わりまでの一連の流れを、「よくある話」と淡々と述べることで、

主人公はようやく「自分の恋もそのひとつだった」と受け入れようとしています。

恋の終わり=生きた証

許してね恋心よ 甘い夢は波にさらわれたの いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よ

「許してね恋心よ」と、まるで自分の中にいる“もう一人の恋する自分”に語りかけるような言葉。
→ 「あなたをまだ想っていたいけれど、もう終わりにしなければいけないの」と、自分に言い聞かせています。

「甘い夢」は、かつての恋の時間そのもの。

「波にさらわれたの」は、時間や現実によって消えてしまったという比喩です。

「いつかまた逢いましょう」と言いつつも、それが叶わないことを主人公はわかっています。
→ それでも、“完全に捨てる”のではなく、“心のどこかに残しておく”優しさを残している。

「その日までサヨナラ恋心よ」
→ 「いつかもう一度恋ができる日」あるいは「この想いを穏やかに思い出にできる日」までの“さよなら”と歌っています。

あなたのそばでは 永遠を確かに感じたから 夜空を焦がして 私は生きたわ恋心と

「永遠を確かに感じた」とは、「あの時、本気で“ずっと一緒にいられる”と思えた」ということで、実際には永遠ではなかったけれど、その瞬間だけは確かに永遠が存在した。

「たとえ終わってしまっても、あの時間は嘘じゃなかった」
という愛の真実への確信です。

「夜空を焦がして」=燃えるような恋の情熱。

夜空は暗闇(孤独・喪失)を象徴していて、そこを“焦がす”ことで、恋の情熱が自分の人生を照らしたことを意味しています。

「私は生きたわ恋心と」→ これは「恋をしていた時間こそ、私が最も生きていた時間だった」という人生の実感の言葉になっていて、恋は終わったけれど、その経験が自分を確かに“生かした”と歌っています。

まとめ

今回は、ポルノグラフィティの『サウダージ』の歌詞の意味を考察してきました。

この楽曲で語りかけているのは「恋心」で、つまり自分自身です。

最後まで聞くと、「悲しみの終わり」ではなく、「愛の記憶を抱いて生きる自分の再生」を描いている楽曲であるということが分かります。

いつの時代に聴いても、心に響く名曲だと思います。

是非今の時代にも聴いて楽しんでほしいと思います。

歌詞考察,音楽

Posted by p-s