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フジファブリック『若者のすべて』歌詞の意味を考察!ドラマアニメの主題歌になりヨルシカもカバーした曲

フジファブリックは2025年2月6日に活動休止を発表しました。

とても残念で悲しいニュースですが、これまでに発表した素晴らしい楽曲の数々があります。

その音楽をこれからもまずは楽しんでいきたいと思います。

その楽曲の中で、フジファブリックといえばやはり『若者のすべて』

フジファブリックを知らなくても『若者のすべて』は知っているという人も多いのではないでしょうか。

『若者のすべて』は、リリースされた時よりも、その後のほうが評価が高い楽曲です。

BANK BANDやヨルシカなど、多くのアーティストがカバーしました。

またアニメやドラマでも使用され、どんどん世の中に広まっていきました。

こんな楽曲はなかなかないと思いますし、バンド以上に楽曲が世に知らされた、とても珍しいケースだと思います。

これだけのリスペクトが送られたのは、やはり歌詞だと思います。

今回は活動休止となったフジファブリックの楽曲『若者のすべて』の歌詞の意味を考察していきたいと思います。

フジファブリック『若者のすべて』歌詞の意味を考察

ここからは、フジファブリックの楽曲『若者のすべて』の歌詞の意味を考察していきたいと思います。

真夏のピークが去った季節から始まる歌詞

「真夏のピークが去った」から始まりますが、このフレーズだけで、季節の移ろいとともに訪れる寂しさを感じさせます。

このフレーズだけで様々な夏の思い出が思い起こされたり、夏といえばという感覚も聴く人それぞれに感じさせるフレーズです。

1番のAメロの歌詞は風景描写が主ですが、「落ち着かないような気がしてる」の部分で、楽しい夏の思い出があり、その楽しさをまだ引きずっている歌の主人公の気持ちが反映されているのが分かります。

この最初の歌詞だけでたくさんの風景が思い浮かぶのは、本当にすごい歌詞だなと実感しますし、夏の終わりの切なさや、青春の儚さが詰まった歌詞になっていると思います。

「夕方5時のチャイムが今日はなんだか胸に響いて」と続きますが、情景描写が美しくて、夕暮れの切なさや過ぎ去っていく時間の尊さを感じさせてくれます。

夕方5時のチャイムが胸に響く感覚、何か大切なことを思い出しそうで、でも言葉にできないような…そんな気持ちが、「運命」なんて便利なものでぼんやりさせてという歌詞になっているのだと思います。

サビで夏の終わりの感覚がする歌詞

「最後の花火に今年もなったな」からサビが始まります。

夏の終わりを告げる花火、それが「今年も」やってきてしまったという寂しさ。
時が流れても、何年経っても、ふとした瞬間に思い出してしまう大切な記憶があるということでしょう。

この歌の主人公には会いたくても会えない人がいて「ないかな ないよな きっとね いないよな」という歌詞で、期待と諦めの間で揺れる気持ちが、心の声みたいで切なく聴こえてきます。

会いたい人には会えないのですが、「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」と、結局会えないまま、でも目を閉じればその人の姿が浮かんでくる、思い出の中では、ずっとそのまま存在し続けるということを表現しています。

夏の終わりの切なさ、青春の儚さがこの部分に凝縮されているような歌詞になっています。

2番で時の流れを表現

2番に入ると、時間が流れても、巡り巡って同じ場所に戻ってくるような感覚の歌詞になっています。
「世界の約束を知ってそれなりになってまた戻って」とあり、人生の流れとか成長と葛藤を感じさせます。

「世界の約束を知って」で、大人になるにつれて、現実や人生のルールを理解していく様子が表現され、「それなりになって」では、受け入れて、自分なりに折り合いをつけて生きていく様子が分かります。

「また戻って」では、結局、心はあの頃と変わらない部分もあって、ふとした瞬間に昔の気持ちに戻ってしまうということを表現しているように感じます。

「街灯の明かりがまた一つ点いて帰りを急ぐよ途切れた夢の続きを取り戻したくなって」と続きます。

「街灯の明かりがまた一つ点いて」では、日が落ちて、街の灯りが少しずつ増えていく様子が描かれ、時間が進んでいくのを実感させるような描写になっています。

「帰りを急ぐよ」では、 何かから逃げるように、でも何かを求めるように、目的があるのか、それともただ気持ちの焦りなのか、急ぐ様子を想像させられます。

「途切れた夢の続きを取り戻したくなって」とあり、 叶わなかった夢、途中で終わった何か、過去の後悔や思い出があり、でも、時間は戻せない、だからこそ切ない描写となっています。

ラストに向けてそれでも前に進んでいく様子を表現

最後のサビの前には「すりむいたまま僕はそっと歩き出して」という歌詞があります。

「すりむいたまま」 で、傷ついたまま、心に痛みを残したままという意味があり、「僕はそっと歩き出して」 で、それでも、静かに、新しい日々へ向かって歩いていく様子が描かれています。

青春の痛みや未練を抱えたまま、それでも前に進んでいく感じがとても切なく描かれていますね。

ラストのサビでは「まいったなまいったな話すことに迷うな」とあり、言葉にできない感情のもどかしさや気持ちはあるのに、どう伝えればいいのかわからない様子、何か伝えたいことがあるのに、言葉が出てこない、 相手にどう受け取られるか、言葉にした瞬間に何かが変わってしまう不安が描かれています。

言葉にならない感情が、何気ないフレーズなのに、グッとくるすごい部分です。

そして最後に「最後の最後の花火が終わったら僕らは変わるかな同じ空を見上げているよ」で締めくくられます。

夏の終わりとともに、何かが変わるかもしれない、でも、本当に変われるのかどうかはわからない。

「変わるかな」という曖昧な表現が、期待と不安の両方を感じさせます。

そして物理的には離れてしまったかもしれないけど、まだ同じ空の下にいる、でも「一緒にいる」のとは違うし、距離はあるけど、どこかでつながっている感覚で、もしかしたら、相手も同じ気持ちでいてくれるかもしれない、そんな淡い願いが込められています。

まとめ

今回はフジファブリックの楽曲『若者のすべて』の歌詞の意味を考察してきました。

「若者のすべて」は、何気ない日常の中にある"大切なものの喪失描いている曲だと思います。

花火が終わる=何かが終わることの象徴で、その後の僕らがどうなるのか、変われるのか…

答えがないまま終わるのが、またこの曲の余韻を強くしているんだと思います。

確実にこれからの未来、聴き継がれていく名曲です。

活動休止は寂しいですが、たくさんのフジファブリックの楽曲を聴いていきましょう。

歌詞考察,音楽

Posted by p-s