UDAGAWA GENERATIONの歌詞の意味を考察!櫻坂46の11thシングル曲

UDAGAWA GENERATIONは、櫻坂46の11thシングルで、2025年最初のリリース曲となっています。
2025年2月19日にリリースされた楽曲です。
二期生の森田ひかるがセンターを務める1曲となっています。
MVはグループ初のワンカット撮影に挑戦した作品で、メンバーの新鮮な表情や今までになかったキャッチーな振付が見どころとなっています。
グループの個性的な音楽スタイルと、エネルギッシュなパフォーマンスが際立つ楽曲で、サウンド的にはシティポップや80年代の音楽から影響を受けたサウンドが特徴です。
ビジュアルやパフォーマンスがやはりインパクトのある楽曲ではありますが、UDAGAWA GENERATIONは歌詞も注目の作品となっています。
今回はそんな櫻坂46の楽曲、UDAGAWA GENERATIONの歌詞の意味を考察していきたいと思います。
この記事の目次
UDAGAWA GENERATION歌詞の意味を考察

ここからは、櫻坂46の楽曲『UDAGAWA GENERATION』の歌詞の意味を考察していきたいと思います。
自由への探求心と社会のルールへの疑問
「何で?何で?何で?意味不明」「どうしてここにいちゃいけないの?」と問い詰める歌詞から始まります。
自由を求めつつも、社会の規制やルールに対する疑問や反発を表現しているようです。
満月の夜は明るい物ですが、ビルが光を遮り、都会の明かりの中で、自然の月の光が見えにくくなっている情景が思い浮かびます。
その後「目隠しされて手探りで歩く人混みよ」とあり、視界が遮られ、進むべき道が見えない状態を表しているようです。
手探りで歩いているので、確信が持てず、人生や社会に対する迷いを象徴しているような歌詞になっています。
都会の雑踏の中で、自分の進むべき道を模索しながら生きている若者の姿が描かれていて、自分を見失いそうになりながらも、なんとか前へ進もうとしている心情が込められているようです。
「いいじゃんいいじゃん」からは、周りがどのように思い、何と言われようとも、自分の好きなように生きたい、自由を手に入れたいという強いメッセージを感じる事ができます。
自由を求める事で自分は傷つくかもしれないし、周りで見ている人も「傷つくから止めな」と注意してくるかもしれませんが、自分が自由を手に入れる為に、一度自分で出来る事をやってみたい、失敗すらも経験してみたいといった意思を感じます。
自由を求めている人は、まだ大人ではない人。
10代後半の多感な時期の人達だと思われます。
そんな人たちが大人の世界に自由を求めて進んでいくので、大人にみられるくらいでいいと思っているようです。
「こんなバカできるのも 若さのせいにできるまで」というフレーズでも、10代後半の最後の青春を謳歌しようとしている若者の心情が伝わってきます。
但し法を犯すほど自由にし過ぎては駄目という自制の念は持っていて、決まりの中、ギリギリのところで自由を楽しむことが楽しくて刺激的なんだと歌ってます。
そういうギリギリをせめて楽しんで、悪い結果になる場合もあればいい結果が出る場合もあると思います。
そのどちらも受け入れる覚悟は出来ていて、そのスリルさえも楽しいという心理のようです。
サビで今のまま変わらず楽しみたい思いを表現
「Unknown Unknown」からサビに入りますが、何が起こるか分からないが、変わらないことは最高で、このままずっと楽しく遊んでいたいといった思いが込められています。
「マイルストーン」という言葉が出てきますが、マイルストーンとはプロジェクトなどを進めていく時に、節目節目の中間地点のことで、その時点でどの程度の進捗状況かを確認するポイントのことです。
ここでいう中間地点は、社会的に決められた卒業、就職、結婚などのことで、そういった節目とらわれることなく、「変わらないこと」の良さを肯定している表現に思えます。
「自分たちは自分たちのままでいい」という価値観を表しているようです。
「いついつまでも遊んでいたいよ」といった部分では、時間の流れに抗いながらも今を楽しみたいという若者のリアルな気持ちが表現されています。
「ずっと遊んでいたい」「他に何があるのか?」という部分では、大人になることへの疑問や未来に対する不確かさを示しているのではないかと思います。
若者にとって「遊ぶ=自由に生きる」という意味も込められているように思います。
そして「未来…We are UDAGAWA GENERATION」では、未来に対する漠然とした不安と、今を生きる事を大切にしたいという意志も感じられます。
宇田川町という場所を象徴にしながら、今の時代を生きる自分たちの世代を肯定している力強い思いが込められているようです。
2番で若者の反骨精神と自由への憧れ
「普通に歳取るその都度Boring」では、社会が定めた一般的な人生の流れに沿って生きることは退屈(Boring)だと感じていると歌っています。
ただ年齢を重ねるだけの人生には魅力を感じないと言っています。
「やりたいこととか何にもNothing」では、少し時代を皮肉った表現になっています。
「やりたいことなんて何もない」と言いながら、「本当はやりたいことを自由にやりたいのに、それができない状況にある」という葛藤も感じます。
「ああしろこうしろ言われたくない」という部分では、大人や社会のルールに縛られたくないという強い意思を感じます。
「こうするべき」「こう生きるのが普通」という価値観に反発し、自分の好きなように生きたいという思いが伝わってきます。
「流されていけばどこかに着く」という部分では、一見運命に身を任せるような諦めにも感じますが、深く考えすぎず自然に生きれば何とかなるという楽観的なメッセージも込められているように思います。
「頑張って目標を決めていきなくても、流れに乗ればこかにたどり着く」という自由な生き方を肯定しているようにも感じます。
「Z世代なんて言葉は誰かが作ったマーケティング私は私だ」では、世代のラベルに縛られる必要はない。
大事なのは「自分がどう生きるか」であり、世代ごとに一括りにされるのも違和感ある。みんな個性があり、「私は私」というスタンスを歌っています。
「ここで騒ぐことすら今じゃできなくなりました」という部分では、昔は自由に楽しめ渋谷の宇田川町などの場所でも規制が厳しくなり、自由に振る舞えなくなったという社会の変化を示唆しています。
渋谷のハロウィンの厳格化なども最近では問題になっていて、関係していそうです。
ハロウィンはかつて盛り上がっていたけど、近年の「浄化作戦」(治安維持やルール強化)で取り締まりが厳しくなり、本来の自由な雰囲気が失われた。
遊びたかった人々が追い出される状況を描写しているようです。
「あの娘はWelcome 私はNG?」では、誰かは受け入れられるのに、自分は排除されるという違和感を表しています。
もしかすると、見た目や立場、所属する文化によって扱いが違うことへの疑問も投げかけているのかもしれません。
「社会が受け入れる人と受け入れない人がいる」という現実に対する不満や、居場所を奪われた感覚も、歌詞の中から感じます。
2番のサビに入り「I wanna go!I wanna go!」と歌います。
どこかへ行きたい、抜け出したい、でもどこへ?という衝動、自由への渇望と焦燥感を感じるフレーズです。
渋谷・宇田川町が「地元」ではないけれど、ここに居場所を求めてきた。
でも、それが奪われつつあり、都市に集まる若者が抱える「故郷ではないけど、ここが自分の居場所だった」という感覚が「生まれた街じゃないけど」に詰まっています。
「シャッター閉められ拒否されちゃったら」では、商店街のシャッターが閉まり、かつての活気が失われる様子を象徴しています。
物理的にお店が閉じる=ストリートカルチャーが失われることを表していて、「お前たちはもうここにはいられない」という拒絶を感じるてしまいます。
居場所がなくなり、行き場を失い「ここまましゃがんでいたい」と表現しています。
しゃがむ=立ち上がれない、動けない気持ちの表れにもなっています。
「だから…全然…夢なんか見たくない 何も」と歌い、夢を見ても叶わないし、現実は厳しい。
希望を持つこと自体が無意味に思えるほどの閉塞感を感じているようです。
それでも「自分たちはUDAGAWA GENERATIONなんだ」と名乗ることで、まだ何かを証明したい、存在を主張したい気持ちが込められているように感じます。
ラストに向けて社会とのズレ、自分の在り方への問いを表現
「ただただ歩いているだけなのにさ 嫌でも目に付く」では、何気なく街を歩いているだけで、いろんなものが視界に入ってくる。
それはSNSやニュースで溢れる情報であったり、街の変化や世間のルールであり、気にしなくても目に入るものへの無意識的なストレスを表しています。
「いいこと悪いこと 常識と非常識」では何が正しいのか、何が間違っているのかが混乱する時代であることを表現しています。
SNSでは「正しさ」が常に変化し、ルールやモラルは場所や人によって違います。
「良い・悪い」「常識・非常識」が簡単にひっくり返る世界が現代の世の中であると思います。
「食い違う青春」では、世代間、あるいは同じ世代の中でも価値観がズレてしまうことを表していて、「自分の青春」が「誰かの青春」と合わない、「こうあるべき」と「自分らしく」が噛み合わない、誰かの青春は輝いて見えるのに、自分の青春はどこか歪んでいるように感じるということを表しています。
「What are we to go」(=俺たちはどこへ行けばいい?)では、進むべき道が見えない、迷っている気持ちが表されています。
「What do you wanna be What do you wanna be」(お前は何になりたい?)と自分に問いかけているか、あるいは社会から問われている言葉かもしれません。
その答えはすぐに見つかるわけではなく、夢や目標を持てと言われても、そんな簡単に決められないリアルな感覚を表現しています。
「Unknown Unknown」では自分でもわからない何かを探している状態を表し、これから何があるのかわからない、でもその「未知の何か」に惹かれていて、未来への不安と期待の両方があるといった状態を表しているのかもしれません。
「うちらのランドマーク離れた街で憧れて来た」ここでいうランドマークは、 憧れの街(渋谷・宇田川町)を指していると思います。
地元を離れ、夢や希望を持ってこの街に来たけど、その街はすでに変わりつつある、あるいは思い描いていたものと違うということを歌っているのかもしれません。
終電気にしない 住人みたいに」では、「ただの訪問者ではなく、この街に馴染みたい」という思いを感じます。
「いつか…きっと 何か見つかると思う」では、まだ答えは見えていないけれど、 何かを見つけられるはずという希望を抱いていることがわかります。
それは自分の居場所、やりたいこと、生きる意味などを指しているのではないでしょうか。
最後のサビで再び「I wanna go!I wanna go!」と歌います。
どこかへ行きたい、抜け出したいという衝動的な気持ちがあり、でも、「どこへ?」という明確な目的があるわけではない。
だからこそ「呪文のような独り言」として繰り返されています。
「世界で唯一 退屈じゃない街」ここでも渋谷・宇田川町のことを指していると思われます。
「ここなら何かが変わるかもしれない」という期待を持ってやってきた。
でも、その街にずっといると、「本当にここは唯一無二の場所なのか?」という疑問も湧いてきているようです。
「疲れた朝陽 何度見ただろう」では、夜遊びや終電を逃した経験を象徴しています。
でも「疲れた朝陽」と表現されることで、楽しいはずの時間がどこか虚しく、繰り返しのようにも感じられます。
「自由に遊ぶこと」が本当に満たされることなのか? という疑問が浮かんできているようです。
「そんな…こんな…自由とは愚かかい?」では、「自由」を求めてここに来たのに、それは「愚かなこと」だったのか?それとも、社会が言う「自由の使い方」が間違っているのかと、自由の価値や意味について、自分自身に問いかけている歌詞になっています。
「お前も分かるだろ? 俺も分かってるよ。」この感情は自分だけではなく、同じように感じている人がいるはずという共感のニュアンスがありますが、でも、分かっているからといって解決するわけではないというもどかしさも感じられます。
まとめ UDAGAWA GENERATIONの意味とは

今回は櫻坂46の『UDAGAWA GENERATION』の歌詞の意味を考察してきました。
櫻坂46の「UDAGAWA GENERATION」は、都会(特に渋谷・宇田川町)に憧れて飛び込んだ若者たちのリアルな葛藤、自由の光と影、期待と現実のギャップを描いた楽曲だと思います。
タイトルの「UDAGAWA GENERATION」は、渋谷・宇田川町を象徴する世代を意味しています。
渋谷・宇田川町は、日本の若者文化やストリートカルチャーの中心地として知られていて、地方から出てきた人々、都会の自由に憧れた人々が集まる場所となっています。
しかし、近年の規制強化や社会の変化によって、かつての「自由な街」が変わりつつあります。
この曲は、そんな宇田川町に憧れてやってきた「自分たち」の姿を映し出しているようです。
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