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RADWINPS(ラッドウィンプス)『賜物』歌詞の意味を考察!朝ドラ「あんぱん」主題歌

2025年4月22日

RADWINPS(ラッドウィンプス)の楽曲『賜物』が、2025年4月25日にリリースされました。

『賜物』は、朝の連続テレビ小説「あんぱん」の主題歌になっています。

ドラマでは曲の一部しか流れず、楽曲の歌詞もあまり分からずに雰囲気だけで聴いていましたが、楽曲が配信されてフルで聴くと、RADWINPS(ラッドウィンプス)の『賜物』の歌詞の意味が素晴らしいことに気が付きます。

RADWIMPS(ラッドウィンプス)は毎回歌詞が魅力的ですからね。

そこで今回はRADWIMPS(ラッドウィンプス)の楽曲『賜物』の歌詞の意味を考察していきたいと思います。

RADWINPS(ラッドウィンプス)『賜物』歌詞の意味を考察

ここからは、RADWINPSの楽曲『賜物』の歌詞の意味について紹介していきます。

人生の本質や人間の宿命を表現

涙に用なんてないっていうのに やたらと縁がある人生

「涙に用なんてない」 これは、涙なんて必要ないとか、泣くなんて意味がないと考えている(あるいはそう言い聞かせている)という姿勢がうかがえます。

それにもかかわらず、「やたらと縁がある人生」、つまり悲しみや苦しみ、涙と切っても切れない人生を歩んでいる、という矛盾や皮肉が感じられます。

感情を抑えたいのに、どうしても涙を流すような出来事が次々起こる。

人間らしい、もどかしさと弱さを描いています。

かさばっていく過去と視界ゼロの未来 狭間で揺られ立ち眩んでいるけど

「かさばっていく過去」は、年を重ねるごとに積み重なっていく記憶や後悔、経験の重さを表しているようです。

一方で「視界ゼロの未来」は、不透明で予測できない将来のこと。

私たちは、重い過去を背負いながら、先の見えない未来に向かって進まざるを得ません。

「狭間で揺られ立ち眩んでいる」は、その不安定な現実の中で、立っていることすら難しく感じるような精神状態、戸惑いや迷いを詩的に表現しています。

「産まれた意味」書き記された 手紙を僕ら破いて この世界の扉開けてきたんだ

「産まれた意味」が書かれた手紙 まるで、最初から運命や使命が決まっていたかのようなもの。

でもそれを「破いて」この世界に来たというのは、あえてその定められた道に逆らい、自らの意志で人生を選び取る、という強い反骨精神の表れです。

これは、神や社会、他人が決めた“生き方”に従わず、自由に自分自身で道を開こうとする姿勢でもあります。

生まれながらに反逆の旅人

「反逆の旅人」とは、自らの生き方を探し求め、定められた枠に抗う存在。

しかもそれが「生まれながらに」ということは、最初からそのように生きる運命、あるいは衝動を持っていたということ。

宿命や涙、迷いの中でも自らの意志を信じて生きる“旅人”の歌ですね。

人生訓と経験談と占星術または統計学による教則その他、参考文献 溢れ返るこの人間社会で

現代社会にあふれる「正しさ」や「答え」の多さを皮肉とともに描かれている歌詞です。

  • 人生訓:偉人たちの言葉、教訓、自己啓発。
  • 経験談:誰かの体験、成功や失敗のストーリー。
  • 占星術:星占いや運勢などの“運命”に基づく指針。
  • 統計学による教則:データに基づいた客観的アドバイス。

これらが「参考文献」のように、あたかも人生の正解を示しているかのように世の中にはびこっている。

でも、その情報の多さゆえに、かえって人間らしい「迷い」や「不安」を助長しているようにも感じられます。

道理も通る隙間もないような日々だが

情報過多で価値観が錯綜し、「正しさ」や「道理」が通用しないような現代の息苦しさを描写しているように感じます。

ルールも理屈もすぐに覆される。

何が正しいのかもわからない。

その中でどう生きるのか、という問いが浮かび上がってきます。

今日も超絶G難度人生を 生きていこう いざ

「超絶G難度人生」は、体操競技などで使われる最高難度の演技を示す「G難度」に例えて、今の人生はとてつもなく難しいチャレンジであるという意味。

だけど、それを「生きていこう」とポジティブに受け止め、「いざ」と気合を入れて前を向く姿勢が感じられます。

どんなに混沌としていても、自分の人生は自分の手でやり切ってやるという覚悟と挑戦の表明を感じます。

いつか来たる命の終わりへと近づいてくはずの明日が

ここでは、「明日=死に一歩近づくもの」であるという厳しい現実が、静かに語られています。

どんなに明るく希望に満ちた日であっても、確実に人生の終わりへと一歩近づいている。

それは誰にとっても避けられない真理。

輝いてさえ見える この摩訶不思議で愛しき魔法の鍵を

君が握っててなぜにどうして? 馬鹿げてるとか思ったりもするけど 君に託した神様とやらの采配 万歳

普通なら、死に近づくことは「怖い」「悲しい」もののはずですが、「輝いて見える」というのは、その先に意味や価値、愛しさ、感動があることを感じているからだと思います。

「明日が輝いて見える」ように感じられるその感覚や思いを、「魔法の鍵」と表現しています。

限りある命の中に輝きを見出す感性、儚さの中に愛しさを見つける心。

それが「摩訶不思議」であり、でも「愛しき」魔法なんだと思います。

その鍵を、「君」が握っているということ。

「人生の鍵」「希望の源」を他の人に預けるというのは、すごく怖いことです。
「他人に委ねるなんて馬鹿げてる」って思ってしまう自分もいるのかもしれません。

だけどそれでも、「君に出会えたこと」「君に託せたこと」、それが神様の采配なら、自分はそれを信じてみよう。
むしろ、万歳して祝ってやろうという、ちょっと照れくさくて、でも深く愛してる気持ちがにじみ出ている歌詞になっています。

自分を信じるしかないという決意

この風に乗っかってどこへ行く 生まれたての今日が僕を呼ぶ

「この風」は、運命や時の流れ、人生の偶然性の象徴。

「生まれたての今日」は、今この瞬間を新たに生きるという感覚。

つまり何があるかも分からないけど、新しい今日に呼ばれて歩き出そうとしている。

それは不安定だけどどこかワクワクするような、命が動き出す瞬間の描写ですね。

「間違いなんかない」って誰かが言う 「そりゃそうだよな」とか「ないわけない」とか堂々巡れば

誰かが「間違いなんかないよ」と慰めてくれる。

でも自分の中では、

「確かに、そうかも」と思う一方で、

「いや、そんなわけない」とも思ってしまう。

その感情がぐるぐる巡る堂々巡り。

ここには、「正解」も「答え」もない人生のリアルな姿が描かれています。

悲しいことが悔しいことがこの先にも待っていること

知っているけどそれでも君と生きる明日を選ぶよ

未来に悲しみも悔しさもあると知っている。

でも、それでもなお、「君と生きる明日」を選ぶ。

これは 無条件の愛とも言えるますし、人生に対する真正面からの“イエス”でもあります。

まっさらな朝に「おはよう」

すべての揺れ、迷い、覚悟を乗り越えて、最後に出てくるこの一言

「まっさらな朝」=過去を引きずらず、新しく始められる日

「おはよう」=生きて、ここにいることの宣言

このシンプルな挨拶が、こんなにも深い意味を持つのは、その前にあった葛藤や決意を経たからこそ。

まるで「生まれ変わったように、また君と今日を始める」という、静かで力強い再出発の言葉です。

感情線と運命線と恋愛線たちが 対角線で交錯して弾け飛び火花散り 燃え上がるその炎を燃料に

感情線・運命線・恋愛線、これは手相の線で、人の“定められた運命や感情の流れ”の象徴。

それが「対角線で交錯する」というのは、まさに予定調和をぶち壊し、思いがけない出会いや展開が起きていることを意味しています。

その交錯が「弾け飛び」「火花散り」、そして炎となり燃料に変わる。

つまりこれは、

人生の偶然や衝突、思い通りにならない運命さえも、自分たちの力に変えて進んでいく姿を表していて、とてもエネルギッシュに感じる歌詞です。

一か八かよりも確かなものは何かなんて 言ってる場合なんかじゃないじゃんか いざ

勢いと覚悟を感じる歌詞で、「確実なことがないと動けない」とか言ってるヒマはない、今、この瞬間に燃えてる感情で、飛び込んでいくしかない。

そういう“衝動”と“情熱”が詰まった一言で、「いざ」でしっかり背中を押しています。

どんな運命でさえも二度見してゆく 美しき僕たちの無様

「どんな運命でさえも二度見していく」それほどに驚くほど無様な運命ですが、とても綺麗だと歌っています。

スマートではない、むしろ「無様」だとわかってる。

でも、その「無様」が「美しい」と表現しています。

不器用でも、転びながらでも、あがいて生きるその姿が一番美しいという、RADWIMPSらしい表現です。

絶望でさえ追いつけない速さで走る 君と二人ならば

人生には絶望がつきまとうものですが、「君と一緒」なら、その絶望すら追いつけないくらいの速さで走れる。

この表現、感情的にポジティブな逆転劇となっています。

「できないことなど何があるだろう?」

自問自答からの挑戦状、「無理」「できない」と決めつけていたのは、もしかしたら自分自身だったんじゃないか、だったら一度、常識とか限界を疑ってみよう、そう語りかけているように聞こえます。

これは、不可能を突き破っていけという、静かだけど力強い意志表示が感じられます。

返事はないらしいなら何を躊躇う

「神様」や「運命」や「世界」、誰にかに返事を求めますが、返ってこない。

つまり、答えは自分で決めるしかないってこと。

「答えがないから動けない」ではなく、「答えがないなら、自分で決めて進め」という考えですね。

迷ってる暇なんてないんだ、というメッセージがビシッと刺さります。

正しさなんかにできはしないこと この心は知っているんだ

“正しさ”という言葉が、ここでは皮肉めいて聞こえます。

「正しさ」に従っていたらできないこと。

「間違い」かもしれないけど、それでもやりたいこと。

理屈じゃない。心が知っている。

まさに“生きる理由”や“愛する理由”に似ていて、言葉で説明できないけど、確かにある“熱”や“真実”のことを歌っているのかと思います。

There’s no time to surrender(降伏してる時間なんてない)

「surrender(降伏)」=あきらめ、受け入れ、退却ですが、それを「してるヒマなんかない」と言い切るこの言葉。

悩んでる暇も、諦めてる暇も、落ち込んでる暇もない。

今、前に進むしかない。それが命を生きるということと歌っています。

時が来ればお返しする命 この借り物を我が物顔で僕ら

命は「借り物」つまり、自分のものではなく、いつかは「返す」日がくるものであるとしています。

僕たちはそれを“我が物顔で”使っていて「命を好き勝手に生きること」=「傲慢」かもしれないけれど、それが人間らしさでもあるよねという認識です。

愛でてみたり諦めてみたりに思い出無造作に 詰め込んだり逃げ込んだり

愛したり、諦めたり、思い出を無造作に詰め込んだり、そこに逃げ込んだり。

完璧じゃないけど、それが「生きる」ということのリアルということです。

せっかくだから唯一で無二の詰め合わせにして返すとしよう

「どうせ返す命なら、自分なりの“人生の詰め合わせ”にして返そうよ」という前向きな決意。

そしてそれが「唯一で無二」になる、というのは、他の誰とも違う、自分だけのもの、それが、どんな形であっても「価値ある命の使い方」になるとうたっているようです。

あわよくばもう「いらない、あげる」なんて 呆れて笑われるくらいの命を生きよう

君と生きよう

「いらない、あげる」ともはや投げやりになるほど、それを「呆れて笑われるくらい」全力で生きようという表現になっています。

もはや命を返すのも惜しまれるくらい、やりきった、使い切った。
そう胸を張って言える人生を生きたいと歌っています。

その人生を、「君と」生きるということ。

それだけで、他のすべてはどうでもよくなれると思えるくらい、大切なことなんだと思います。

まとめ

今回は、RADWINPSの楽曲『賜物』の歌詞の意味を考察してきました。

「賜物」というタイトル、その意味は「命」そのものだということが分かります。

そして君と過ごす日々もまた、かけがえのない「賜物」なんだということ。

そしてRADWINPSの楽曲らしい表現が「命は借り物」という捉え方です。

どう使うかは自分次第ですが、君となら、悲しみも痛みも受け入れて生きていける。

それだけで、この命はもう返したくなくなるほどの宝物になる。

そんな楽曲になっていると感じました。

ドラマ「あんぱん」のストーリーとも重なるところがあり、ドラマと一緒に楽しめるといい楽曲になっていますね。

歌詞考察,音楽

Posted by p-s