なとり『にわかには信じがたいものです』歌詞の意味を考察!人間のリアルを表現

なとりの楽曲『にわかには信じがたいものです』は、2025年10月24日にリリースされた楽曲です。
今回は、『にわかには信じがたいものです』の歌詞の意味を考察していきます。
この記事の目次
なとり『にわかには信じがたいものです』歌詞の意味を考察

ここからは、なとりの楽曲『にわかには信じがたいものです』の歌詞の意味を考察していきます。
恋のはじまりという奇跡的な瞬間
近頃、私はどうかしちゃってる! ひょんなところで度を越しちゃってる! ま、まさか私、恋をしちゃってる!? 誤魔化してみる、、、見透かされてる!? あなたとふたりでかくれんぼあの、トンネルの向こうへ行こうよ夏休みに全部、置いてきた気持ちと募る気持ちの集合体
主人公が自分の感情の変化に戸惑っていることを示す冒頭です。
「どうかしちゃってる」という表現には、軽いユーモアや自嘲も含まれていますが、同時に“自分でも制御できない心の乱れ”が伝わります。
ここでの「どうかしちゃってる」は、理屈ではなく感情で動いてしまう自分の出現への驚きだと思います。
恋を自覚する前の“暴走気味な自分”を「ひょんなところで」というフレーズが、予想外な瞬間に心が反応してしまうことを表しています。
何気ない仕草や言葉に胸が高鳴ってしまう——そんな感情の“逸脱”をユーモラスに描いています。
恋に落ちた自分をまだ信じきれない不安と、どこか楽しい混乱の入り混じりです。
「まさか私が恋をしてるなんて」という“信じがたい感情の発見”があり、「気づいてしまった」決定的な一歩が描かれています。
恋心を隠そうとしても、相手にはバレてしまうという可愛らしい無防備さも歌われ、恋のゲームが始まるような軽やかな表現にも感じられます。
「かくれんぼ」=秘密を共有する遊び。
恋の初期段階によくある、「ふたりだけの秘密」「他人には見せられない関係性」を比喩的に表現しています。
「トンネルの向こう」は、現実や日常の向こう側=“未知の世界”の象徴。
つまり、主人公は恋によって“今までとは違う世界へ行こう”としているのです。
そこには「怖さ」もあるけれど、「一緒に行こう」という呼びかけに、恋に踏み出す勇気と“共犯的な親密さ”が感じられます。
「夏休み」は、子どもの頃の純粋な時間や“過去の自分”を象徴し、つまり「夏休みに置いてきた気持ち」とは、無邪気さ、初恋、傷つくことを恐れない心のような“忘れていた純粋さ”のことで、「募る気持ちの集合体」とは、大人になってからの抑えきれない恋心や情熱を指しています。
この二つを結びつけることで、主人公は「子どもの頃の自分」と「今の自分」が交錯する瞬間に立っています。
恋をすることで、失われた純粋さが再び蘇る。
それが“にわかには信じがたいほどの変化”なのだと歌っています。
恋とは始まりも終わりも信じがたい
左手に伝う心拍数 雨が降ったので、傘をさす右手でワンツー、珍道中 つまらんトークで日が暮れるここにいちゃいけない夜がくるんだ さよならって手紙を書くんだそれは、いわゆる 「にわかにはじがたいものです」
“心拍数”=恋のときめきと“緊張”の象徴で、それが「左手に伝う」とあるのは、心臓(胸の左側)に最も近い手であり、自分の鼓動を実感しているということです。
主人公は自分が生きて、誰かを好きになっている実感をこの瞬間に感じています。
雨の情景は、感情の揺れや混乱を象徴します。
「傘をさす右手でワンツー」とは、歩調を合わせながら進むこと。
右手で傘を支え、左手には鼓動がある、つまり“身体の両側で、恋と現実を同時に感じている”構図です。
「珍道中(ちんどうちゅう)」という言葉選びが絶妙で、うまくいかない恋の道のりを表しています。
「つまらんトーク」は、楽しいはずの時間がどこか空虚になっている様子で、日が暮れる = 終わりの訪れと捉えることが出来ます。
「ここにいちゃいけない夜がくるんだ」は、“もう一緒にいてはいけない”という理性の声。
つまり、心ではまだ一緒にいたいのに、現実がそれを許さない。
前半の“恋に落ちる無邪気さ”と対照的に、ここで初めて「終わりの自覚」が表れています。
「さよならって手紙を書くんだ」で“決別”の意志を示しています。
「書くんだ」という言い回しにはまだ自分を納得させるための強がりがあります。
「にわかには信じがたいものです」とここで出て来ますが、これはまさか自分が、こんな風に誰かを好きになって、そして、こんな風に別れを告げる日がくるなんて、どちらも信じがたいということを歌っています。
近頃、私はどうかしちゃってる! ひょんなところで度を越しちゃってる! ま、まさか私、恋をしちゃってる!? 誤魔化してみる、、、見透かされてる!? あなたとふたりでかくれんぼあの、トンネルの向こうへ行こうよ なら、いっせーので手放しちゃって爆ぜる気持ちと扁桃体
2回目のサビは、最後の部分だけが1回目のサビと違う歌詞になっています。
「いっせーので手放しちゃって」は、理性やためらいを捨てて感情に身を任せる決意。
「爆ぜる気持ち」は、抑えきれない恋の高揚感。
「扁桃体」は脳の感情を司る部位。
つまり“理屈ではなく、本能が反応してしまうほどの恋”を表現しています。
理屈では説明できない“痛みと高揚”
左手に伝う心拍数 雨が降ったので、傘をさすイーアルサンスー、Why_鈍痛??? つまらんジョークで気が狂れるどこか無愛想な、あの人も赤信号を渡る、あの人も本当はいい人だってじたい! じないほうが気が楽だけど先生じゃ見えない、本質も夏休みに消えた、アイツも全部それは、いわゆる 「ニワカにはわからないことです」 あなたとふたりでかくれんぼトンネルの向こうへ行こうよ
2番のAメロに入ると、1番のAメロとの比較で歌は進んでいきます。
「雨が降ったので、傘をさすイーアルサンスー、Why_鈍痛???」では、1番で「雨が降ったので、傘をさす」というありふれた日常の行為に対して、ワンツーと歩調を合わせて歩いていたのに対し、「イーアルサンスー(中国語の数え歌調)」と続くことで、日常のリズムが少しズレていく感覚が出ています。
心の痛みを“鈍痛”と呼びつつ、理由を問い、恋の痛みを理屈で説明しようとしても、うまくいかない。理性で理解できない感情を表したフレーズになっています。
「つまらない」と思っていたことに、今は笑ってしまい、恋をして感情が過敏になっている様子が表され、恋をすると、人の見方も変わってきて、普段は無愛想に見える人の中にも優しさを見つけてしまう。
でも、「だってじたい!(=自体?事態?)」という語尾が、どこか不安定で、感情の過剰さや混乱を強調しています。
「先生じゃ見えない」=大人や権威の目では見抜けない“感情”の本質。
「本質も夏休みに消えた」=日常の流れに埋もれてしまった、純粋な気持ち。
「アイツも全部それは、いわゆる」→ 次に続く「『ニワカにはわからないことです』」でオチを迎える。
つまり、誰にも理解されない、説明しがたい感情の複雑さを、「ニワカにはわからない」と軽口のようにまとめているのです。
感情が最高潮に達するクライマックス
近頃、私はどうかしちゃってる! ひょんなところで度を越しちゃってる! ま、まだ私は恋をしちゃってる!? 誤魔化してみる、、、見透かされてる!? 真っ赤な林檎とチョコレイト あの、トンネルの向こうが怖いの? なら、いっせーので手放しちゃって私だけを見て! 後ろめたいこと、何にもないのに消えちゃいたいとか、ばっかみたい! 「傷つけないから、痛くしないから」信じちゃう君も、ばっかみたい! 何でもないのに、何にもないのに消えちゃいたいとか、ばっかみたい! 逃げも隠れもしないから、はやく捕まえて!
「真っ赤な林檎」=誘惑・禁断・純粋な欲望(エデンのリンゴの連想)
「チョコレイト」=甘く、恋の象徴。バレンタインや贈与のイメージも。
つまり、「恋の甘さ」と「罪の意識」の両方を暗示しています。
“理性では危険だと分かっているけれど、惹かれてしまう”という矛盾を詩的に表現しています。
前半にも出てきた「トンネルの向こう」。
これは“恋の向こう側=未知の感情の世界”の象徴です。
相手に対して「怖がらないで、私と一緒に行こう」と誘いかけている。
「いっせーので手放しちゃって」は、理性・ためらい・過去を全部捨てること。
そして「私だけを見て!」という強い独占欲。
恋が“感情”から“欲望”に変わる瞬間です。
「後ろめたいこと、何にもないのに消えちゃいたいとか、ばっかみたい!」からは、恋をして幸せなはずなのに、ふと“消えたい”と思ってしまう。
恋にのめりこむ自分を恥じたり、脆くなった自分に嫌気が差したり。
「幸福の中の不安」が露呈しています。
それを「ばっかみたい!」と自嘲的に突き放し、感情の乱高下が激しく、“どうかしちゃってる”状態です。
「「傷つけないから、痛くしないから」信じちゃう君も、ばっかみたい!」では、恋では「大丈夫」「傷つけない」と言いながらも、実際には誰かが傷つく。
それでも信じてしまう“君”=“私自身”。
信じたいのに疑ってしまう、恋の矛盾がここに凝縮されています。
「何でもないのに、何にもないのに消えちゃいたいとか、ばっかみたい!」で、「理由もないのに不安になる」「幸せなのに苦しい」恋の持つ不条理な痛みが表現されています。
そして最後は開き直り、そして願望の告白。
恋を隠そうとしていた自分を捨て、「もう逃げない。だからあなたのほうから来て」と訴える。
これは「かくれんぼ」モチーフの終着点。
最初は「隠れていた」けれど、今は「見つけてほしい」と願っている。
恋を“受け入れた自分”の姿です。
まとめ

今回はなとりさんの楽曲『にわかには信じがたいです」の歌詞の意味を考察してきました。
この曲は「恋」という言葉を単なるロマンスではなく、感情の暴走、理性の崩壊、そして“生きている実感”
として描いた作品です。
なとりさん流の言葉遊びが今回も楽しく、楽曲自体の完成度も高い素晴らしい楽曲になっています。








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