ポルノグラフィティ『アゲハ蝶』歌詞の意味を考察!ドラマ「良いこと悪いこと」主題歌

ポルノグラフィティの楽曲『アゲハ蝶』は、2001年6月27日に発売されたシングルです。
ポルノグラフィティの代表的な楽曲の1つで、幻想的かつ哀愁を帯びた世界観が印象的なナンバーです。
約24年前の楽曲ですが、ドラマ「良いこと悪いこと」の主題歌に抜擢され、世間を驚かせています。
ドラマ「良いこと悪いこと」は、考察ミステリーですが、平成のエモさも詰まった人間ドラマでもあり、平成の“エモさ”を『アゲハ蝶』が表現しています。
今回はそんなポルノグラフィティの『アゲハ蝶』の、歌詞の意味を考察していきます。

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この記事の目次
ポルノグラフィティ『アゲハ蝶』歌詞の意味を考察

ここからは、ポルノグラフィティの楽曲『アゲハ蝶』の歌詞の意味を考察していきます。
幻想的で哲学的な愛の物語
ヒラリヒラリと舞い遊ぶように 姿見せたアゲハ蝶 夏の夜の真ん中 月の下 喜びとしてのイエロー 憂いを帯びたブルーに 世の果てに似ている漆黒の羽
蝶は昔から「変化」「転生」「儚さ」「自由」の象徴とされています。
“ヒラリヒラリと舞う”という軽やかな動きには、
現実から離れたような幻想性
つかみどころのない存在感
一瞬で消えてしまいそうな儚さ
が込められています。
「アゲハ蝶」はこの歌にとって、憧れの存在であり、追いかけても届かないものを表しています。
夏の夜は生命が最も活発な季節である一方で、どこか妖しさや切なさを孕んだ時間帯。
“月の下”という描写は、現実と夢の境界を暗示しているようです。
昼の太陽のもとではなく、夜の月明かりの下に現れることから、
アゲハ蝶は幻想的な存在として描かれています。
イエロー(黄)=喜び・希望・生命力
ブルー(青)=憂い・静けさ・孤独
アゲハ蝶の姿には「喜び」と「憂い」という相反する感情が同居している。
これは人間の心の複雑さ、または「生きることの光と影」を象徴しているようです。
蝶は美しく舞いながらも、短い命を燃やして生きるその二面性を描いています。
そしてアゲハ蝶の「黒い羽」を、“世の果て”に似ていると比喩しています。
この世界の終わり
もう戻れない場所
“死”や“孤独”の象徴
として読めます。
アゲハ蝶(=彼女や憧れの存在)が美しさの裏に、破滅や哀しみを秘めていることが示唆されていて、光の中に影があるように、「美しさの中に滅びがある」といった危うさが表現されています。
人間の成長と内なる旅
旅人に尋ねてみた どこまで行くのかと いつになれば終えるのかと 旅人は答えた 終わりなどはないさ 終わらせることはできるけど
この“旅人”は、単なる通りすがりの人ではなく、人生を旅に喩えた存在です。
ここでの「旅」とは“生きること”そのもので、「どこまで行くのか」「いつ終えるのか」といった生きる目的や、人生の終着点を問いかけています。
それに対し旅人は、
「終わりなどはないさ 終わらせることはできるけど」と答えています。
“終わりがない”=人生や愛には決定的な答えがない。
終わらせることはできる”=自ら手を放す(諦める・逃げる)ことはできる。
つまり、“生きることも愛することも、本当の意味で終わりはないが、自分の意志で終わらせることはできる”という、哲学的な悟りを示しています。
そう…じゃあ お気をつけてと見送ったのはずっと前で ここに未だ還らない 彼が僕自身だと気づいたのは 今更になってだった
主人公はかつて“旅人”を見送った側、つまり、問いかける側でした。
しかし時が経ち、自分もその“旅人”と同じように、
答えを探して彷徨う存在になっていたことに気づくのです。
「彼が僕自身だと気づいた」=かつての“他者”が、自分自身の内面だった。
これは、人生の「循環」や「自己発見」の瞬間を描いています。
若い頃は外の世界を求めて旅に出ますが、最終的には自分の中に旅の意味を見出す、まさに“アゲハ蝶”が成長と変化を繰り返すような比喩になっています。
あなたに逢えた それだけでよかった 世界に光が満ちた 夢で逢えるだけでよかったのに 愛されたいと願ってしまった 世界が表情を変えた 世の果てでは空と海が交じる
“あなた”との出逢いによって、世界が意味を持ち、色づいた瞬間を表しています。
夢で逢えるだけで満たされていたはずなのに、現実の愛を求めてしまった。
つまり、欲望によって心が乱れてしまった。
この“願ってしまった”という言葉には、「どうしても抗えない感情」「自分でも抑えられない衝動」がこめられています。
「アゲハ蝶」の根底に流れる“人間の悲しさ”です。
“愛されたい”と願った瞬間、世界は優しくも厳しい現実の顔を見せます。
「表情を変えた」は、幸福の裏にある孤独や痛みへの目覚めです。
そして最後の「世の果てでは空と海が交じる」は、
“世の果て”=すべてが終わる場所、境界のない世界。
“空と海が交じる”=上(理想・魂)と下(現実・肉体)の境が溶け合う。
愛や生、夢や現実、喜びと悲しみ、そのすべてが混ざり合う、人生の最果ての風景が描かれているようです。
生きる意味と、愛の果ての静かな受容
詩人がたったひとひらの言の葉に込めた 意味をついに知ることはない そう それは友に できるならあなたに届けばいいと思う
“詩人”とは、想いを言葉に託す者=人間そのものの象徴です。
人は誰かを想い、言葉を紡ぐ、けれどその言葉がどんな意味で相手に届くのか、自分には分からない。
つまり「伝えたいけれど、伝わらない」という言葉の限界と、それでも伝えようとする祈りを描いた一節です。
「恋人」だけでなく、世界の誰かにでも届けばいい。
個人的な愛を超えて、普遍的な“伝達の願い”へと広がっています。
もしこれが戯曲なら なんてひどいストーリーだろう 進むことも戻ることもできずに ただひとり舞台に立っているだけなのだから
人生を「戯曲(演劇)」にたとえ
“進むことも戻ることもできず”=運命に縛られた存在
“ひとり舞台に立っている”=孤独、そして「生きる」という行為の苦しさ
人間の孤独を表していて、誰も代わりに立てない、誰も筋書きを変えられない舞台
それが「人生」そのものだと悟っています。
あなたが望むのなら この身など いつでも差し出していい 降り注ぐ火の粉の盾になろう ただそこに一握り残った僕の想いを すくい上げて心の隅において
献身と自己犠牲を描いている部分で“火の粉の盾になろう”と、相手を守るためなら、自分の身を焼いてでも構わないという想いが歌われています。
報われなくても、守りたい・支えたいという無償の愛です。
たとえ小さなかけらでも“あなた”の心のどこかに残ればそれでいい、という諦念と祈りです。
“すくい上げて”という言葉には、
沈みかけた感情の海から、そっと掬い取ってほしいという願い。
つまりここでの「僕」は、もう届かないと知りながらも、存在の証として想いを託している状態です。
「恋」から「慈愛」への成熟
荒野に咲いたアゲハ蝶 揺らぐその景色の向こう 近づくことはできないオアシス 冷たい水をください できたら愛してください 僕の肩で羽を休めておくれ
荒野=命のない場所。
そこに咲いたアゲハ蝶=孤独と美の極致。
つまり、主人公(=アゲハ蝶)は、
過酷な現実の中でも儚く、美しく生きている。
“揺らぐその景色の向こう”は、
蜃気楼のように揺れる幻の楽園=愛の到達点を暗示しています。
しかし、そこには届かない。
オアシスのように、近づけば消えてしまう夢なのです。
オアシス=救い、愛、安らぎの象徴。
けれど、近づけない——届かない愛。
“冷たい水をください”は、
生きるための最小限の希望=心の救いを求める声です。
燃え尽きそうな命の中で、ほんの少しの優しさを求めています。
「愛してください」という願い、その後に続くのは「僕の肩で羽を休めておくれ」と与える側の言葉です。
「愛されたい」と願いながら、最終的には「あなたを愛したい」「あなたを守りたい」という境地に戻っています。
渇望から解放され、再び“無償の愛”へ還り、まるで、飛び続けた蝶が最後に羽を休める瞬間のような静けさを感じます。

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まとめ

今回は、ポルノグラフィティの楽曲『アゲハ蝶』の歌詞の意味を考察してきました。
私が最初聴いた時は学生の時だったので、そこまで歌詞の内容を深堀りせず、漠然といい歌だなぁと聞いていましたが、改めて歌詞を考察していくと、凄い世界観の歌だったんだなぁと驚きました。
この歌が令和になって、ドラマの主題歌として使用されることの凄さも感じられます。
ドラマと一緒に、楽曲も楽しんでいきたいと思います。








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