ミスチル『Again』歌詞の意味を考察!日曜劇場ドラマ「リブート」主題歌

ミスチルの楽曲『Again』は、1月19日に配信リリースされました。

この楽曲は、日曜劇場のドラマ「リブート」の主題歌になっています。」
ドラマ「リブート」は、嘘と真実の狭間で展開する謎解きとサスペンスで、過去を捨て、新しい“顔”として真実を追う男の物語です。
楽曲を制作した櫻井さんは、ドラマの中の大切な要素「緊張感」「スピード感」「憂いと強さ」「希望」を表現した楽曲になっているとコメントしていました。
曲の構成は聴いていてもドラマの展開にピッタリな雰囲気で、緊張感あるかっこいい楽曲に仕上がっています。
そしてやはり歌詞もいい。
ミスチルといえば毎回歌詞も注目を浴びますが、やはり今回も歌詞がとても素晴らしい楽曲に仕上がっています。
今回はそんなミスチルの楽曲『Again』の歌詞の意味を考察していきます。

この記事の目次
ミスチル『Again』歌詞の意味を考察

ここからは、ミスチルの楽曲『Again』の歌詞の意味を考察していきます。
希望や衝動を抑え込みながら生きていく
期待しない方が利口です 明るくない将来はお見通し 極力深入りせぬよう 関係を保とうと努めた 何にしたって
まずは語り手の防衛的な生き方が示されます。
「期待しない方が利口」
→ 期待すれば裏切られ、傷つくから、最初から希望を持たない方が賢い、という諦観です。
この冒頭の部分からドラマの内容とリンクしているような歌詞になっていますね。
「明るくない将来はお見通し」
→ 未来に対して楽観できず、先が見えてしまっている感覚です。
「極力深入りせぬよう」「関係を保とうと」
→ 人とも物事とも距離を保ち、本気にならないことで自分を守っている。
「何かを失わないために、何も得ようとしない」姿勢が描かれています。
いつだって 傷つくだけ 静かに傷つくだけ
この部分は感情が動かない毎日の虚無感が描かれています。
傷つくことすら「静か」で、少しずつ確実に心が削れていく。
大きな悲劇があるわけではないけれど、何も起きないこと自体が、心を蝕んでいる状態です。
ベランダにサーフボードは眠ってる ここ4、5年ビーチは未踏の地 疲れ引きずる週末は 苛立ちを解放しようもなく ひたすら焦ってる
「サーフボード」はかつての情熱・自由・遊び心・若さの象徴。
「4、5年ビーチは未踏の地」は、それらが長い間、実行されていない=夢や衝動が放置されている状態です。
生活に追われ、週末には疲れ切って、発散もできず、ただ焦りだけが募る。
やりたい気持ちは残っているのに、動けない自分が描かれています。
毎日を 塗り潰すだけ がむしゃらに塗り潰すだけ
実際は 空っぽになるだけ 心が空っぽになるだけ
「塗り潰す」という表現が、目的を持って生きるのではなく、今日を“消化”するために、今日を上書きしているということを表しています。
その結果、心は満たされるどころかどんどん空洞化していき、忙しさ=充実ではない、という痛烈な示唆になっています。
いつになく笑っていれたかな? そんな日だって存在してたっけ?たっけ? 胸の中で光ったお宝 そっとそっと仕舞った
このサビの部分は、過去の輝きへの自己確認と諦めが表れています。
「本当に笑えていた日があったのか?」→ 幸せだった記憶すら曖昧になっている
「胸の中で光ったお宝」→ かつての夢・希望・純粋な感情
「そっと仕舞った」→ 捨てたわけではないが、もう表に出さない
夢を否定しきれない大人の弱さと切なさが歌われていますね。

弱い人間の生存宣言
今日だって ぶち壊すだけ 他意もなくぶち壊すだけ
ここでの「ぶち壊す」は、劇的な破壊ではなく、
・感情的になって台無しにする
・余計な一言、投げやりな態度
・うまくやろうとして、結局壊してしまう一日
しかも「他意もなく」なので、悪意すらないまま、日常を壊してしまう自分への無力感がにじみでています。
どうしようもなく 虚しくなるだけ 自分が虚しくなるだけ
壊した結果に待っているのは、後悔や反省よりも、何も残らない虚しさや「またやってしまった」という自己嫌悪
感情が爆発するわけでもなく、ただ空虚になるだけというところが重要です。
それでも やり直すだけ もう一度やり直すだけ
ここの歌詞は希望に満ちた「再出発」ではなく、劇的な決意もないですが、それでも生きている以上、翌日が来るからやり直すという、極めて現実的で人間的な姿勢です。
ただただ毎日を 繰り返すだけ 何度でも繰り返すだけ
感動的なリスタートではなく、
壊す
虚しくなる
それでもやり直す
この循環を「何度でも」受け入れること。
成長したから前に進めるのではなく、止まっていても、転んでも、繰り返すこと自体が生きること。
そんな静かな肯定がここでは歌われていて、『Again』というタイトルに繋がっています。
優しくなれる可能性を手放さない
いつになく笑っていれたかな? そんな僕も存在してたっけ?たっけ? 優しい気持ちになれた日は 君が君が
本当に笑えていた自分がいたのか、優しかった自分は幻想だったのではないか。
「たっけ?たっけ?」という繰り返しで、記憶を探っても確信が持てない心の揺れを表しています。
優しい気持ちになれた日は 君が君が
ここで初めて、感情の原因が他者=「君」として歌われます。
自分ひとりでは取り戻せなかった感情
誰かの存在によってだけ、思い出せた“優しさ”
「君が君が」と言葉が詰まるように重なるのは、その存在の大きさを言語化しきれない感じが表れているように聴こえます。
いつになく笑っていれたよな そんな日が訪れるように祈って祈って
前半の「かな?」が、ここでは「よな」に変わります。
疑っていた過去を、少しだけ肯定できる
そしてそれを「未来にもう一度」願う
ただし、ここでも確信はなく、あるのは強い決意ではなく、祈りです。
胸の中に仕舞ったお宝 そっとそっと 今日も優しく光った
かつて「仕舞った」だけだったお宝が、
捨てられず
忘れられず
そして今も「光っている」
しかも「優しく」光る。
これは、情熱や夢が再燃したというより、人を思う心・信じたい気持ちが、まだ死んでいなかったという静かな救いです。

まとめ

今回はミスチルの楽曲『Again』の歌詞の意味を考察してきました。
『Again』は、人生が劇的に変わらなくても、人はもう一度“優しさ”から始められる、そう囁く楽曲だと感じられます。
壊して、虚しくなって、繰り返しても、胸の奥にしまった“お宝”は、誰かを想うことで、今日も小さく光る、そういった希望を感じられる楽曲で、ドラマとのリンクを楽しみながら今後も聴き続けていきたい楽曲です。








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